1943年は敗北の年だったが、1944年がそれ以上良くなる見込みはなかった。
大西洋からドン河そしてシチリア島から連合軍は一歩一歩圧力をかけてきた。 参謀本部とOKH,そしてOKW対外防諜局、それにベルギー及び北フランス地区司令官の ファルケンハウゼン歩兵大将(元中華民国軍事顧問)と パリの地区司令官シュトゥルプナーゲル大将、さらには敵の侵攻に備えて北フランスに配置されていたロンメル元帥とシュパイデル中将のB軍集団司令部内でも 広く枝を張った抵抗派とのパイプが出来上がっていた。 だがこれは将軍と参謀将校段階での組織網であって、 目的達成のために実戦部隊を掌握できているかどうかについては自信が無かった。 (写真左よりAlexander von Falkenhausen、Karl-Heinrich von Stuelpnagel ) 参謀本部内では作戦課長ホイジンンガー少将、編成課長シュティーフ少将、西方外国軍課長レンネ中佐、そして陸軍通信連絡局長フェルギーベル中将などが内通者の中に数えられた。 ベルリン地区ではSSが強力な軍隊を持っていたが、国防軍の軍事教練学校は デベリッツ、クランプニッツ、ユーテンボルク、ヴンスドルフで質の高い兵力を提供した。 ヘルドルフ伯指揮下のベルリン警察隊、 市司令官パウル・フォン・ハーゼ将軍も反ナチにかかわっていた。 だが戦況はますます悪化していった。 6月6日、英米の大陸侵攻軍がノルマンディーに上陸したのである。 ここに西部戦線が現実のものとなった。ロンメルと幕僚たちは在フランスの各司令官たちと協調しつつ、ひそかに西側諸国と休戦の交渉に入ることを画策していたが、フランスで戦いが始まったことによって、そのような考えは一切が幻となった。 東部戦線ではドイツ中央軍集団が「白ルテニア大戦闘」で完全に壊滅し、 いよいよソ連軍が東プロイセンの国境に迫りつつあった。 ドイツ本土の上空は米英軍機に支配されていた。英空軍は大都市に対する夜間の銃弾爆撃を、 米空軍は昼間に生産拠点と交通要衝などの「ポイント目標」への攻撃を繰り返した。 戦争は負けであった。元陸軍総司令官フリッチュとベックは、 来るべき戦争では陸軍こそが決定的な要素になると考えていたが、 それは真実ではなかった。逆にこれは陰謀者にとって真実となった。 なぜならば軍人による反ヒトラー陰謀においては、陸軍だけが頼りなのである。 数的に極めて強力な空軍も海軍もこの件についてはまったく計算の中に入れられていない。
by suzakugawara
| 2005-07-29 21:19
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