ヒトラー暗殺未遂事件② ~シュタウフェンベルク~

1943年暮れまでに、ゲシュタポとSD(保安諜報部)によって
ドイツ国内の反ヒトラー派の大部分が一掃され、国内の反対派は混乱状態に陥っていた。
ヒムラーの最初の効果的な一撃で、43年4月に
ディートリヒ・ボンヘーファー、
ヨーゼフ・ミュラー、ハンス・ドーナニー
が逮捕された。d0042460_1623503.jpg

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  (写真左よりDietrich Bonhoeffer、Joseph Mueller、Hans von Dohnanyi )

 軍の不穏グループに対してはさらに徹底的な調査が行われ、
防諜局参謀長の
ハンス・オスター大佐に嫌疑がかけられ、その後停職処分となる。
同時期、
フォン・ハンマーシュタイン将軍が死亡、
最もヒトラー打倒に熱意を燃やす
ルートヴィッヒ・ベック元参謀総長
癌の手術のため予断を許さぬ状態となっていた。
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                     (写真左よりHans Oster、Kurt von Hammerstein-Equord、 Ludwig Beck )
 さらにSDの腕利きの捜査官である
シェレンベルクSS少将はいくつかの反ナチ組織に潜入することに成功。1944年1月、モルトケ伯爵ハンナ・ゾルフの会のメンバーが逮捕され、翌月、国防軍諜報部長カナリス提督が解任された。

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               (写真左よりHelmuth von Moltke 、Wilhelm Canaris )
 このような状況下においてヒトラーを殺害、
もしくは権力の座から引きずりおろすつもりなら、新しい推進勢力が必要であった。
そこで白羽の矢が立ったのが、
クラウス・シェンク・フォン・シュタウフェンベルク伯爵である。
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Claus von Stauffenberg

彼は1907年にヴュルテンベルク大公国の高官の子として生まれ、
その後ヴァイマル共和国の騎兵将校となった。その後昇進を重ね、
38年には、特別に選ばれた187人の参謀本部メンバーの一人に任命された。
39年に、陸軍総司令官ブラウヒッチュに反ナチの息を吹きかけようとしていた

フリードリッヒ・フォン・シュレンベルク伯爵に近づきを求められたが拒絶した。
おそらくは他の若手将校と同様、戦争が近いことを知り、
勝利の人を魅了する魔力に心を引かれていたのだろう。

戦争初期、シュタウフェンベルクはフランスやソ連、北アフリカなどを転戦。
1943年4月、チュニスで重傷を負い、片目と右手、左手の2本の指を失った。
負傷からの回復期にヒトラーを排除、すなわち殺害することによってドイツを救わなければならないと決意し、持てる情熱のすべてを傾けてヒトラー打倒を目指すようになった。

運命はこの彼にドイツの将来の変革実現を託したのであった。
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# by suzakugawara | 2005-07-24 14:01 | 出来事

ヒトラー暗殺未遂事件① ~暗殺計画~

1944年7月20日のヒトラー暗殺を狙った事件よりも前に、
ヒトラー暗殺計画は30回以上も企てられていた。

そのもっとも代表的なものは2つあり、1つ目は1943年3月13日に

フォン・トレシュコウ少将が仕組んだヒトラー暗殺の試みの、

スモレンスクの陰謀(別名:電光作戦)である。
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                    Henning von Tresckow

この計画は
ゲルゲラー元ライプチヒ市長オルブリヒト陸軍歩兵大将
トレシュコウ少将の副官シュラーブレンドルフ中尉が関与し、
ヒトラーをスモレンスク地区の軍司令部におびき出して殺害する、というものであった。
最終的にはヒトラーの搭乗機にブランデーのびんを装った包みに、
2個の爆弾を仕掛けることに決定した。しかし爆弾は技術上の問題から爆発せず、
ヒトラーが無事にラシュテンブルクに着いたとき、
爆弾はシュラーブレンドルフによって機体からはずされた。
この計画は明るみに出ることはなく、再度ヒトラー殺害の日が決められることとなった。


2つ目はスモレンスクの陰謀から1週間後に決行された。
この計画を
英雄記念日暗殺計画という。
陰謀者たちは次の作戦にベルリンの兵器博物館で執り行なわれる
[戦没将兵慰霊のための]英雄記念日式典の日にを選んだ。
同式典にはヒトラーはもちろんのこと、
ボルマンをはじめとする政府、党要人数名の参列が予定されていた。

作戦としてはヒトラーのオーバーコートのポケットに爆弾を仕掛けるというものであったが、
ヒトラーのスケジュール変更と爆弾の技術的問題により計画は失敗した。

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                    Carl Friedrich Goerdeler

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                      Friedrich Olbricht
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# by suzakugawara | 2005-07-23 20:57 | 出来事

バグラチオン作戦① ~作戦前の状況~

1944年6月6日に開始されたノルマンディー上陸作戦 により、
ついにドイツは二正面作戦を強いられることになった。
そのためドイツ軍は主戦場である東部戦線から西部戦線への
部隊の移動、補充をする必要が生まれた。
ドイツ及びドイツ占領地区への爆撃に対抗するために
ドイツ空軍、特に戦闘機が西部戦線に移動していた。
このため、東部戦線の防空力は低下し、
陸上戦力もあるだけの予備が抽出され、
西部戦線に送られてしまっていた。

一方、ソ連軍は1943年末から1944年5月にかけ、
ドニエプル川 右岸のウクライナ からドイツ軍を掃討しており、
5月末の時点で回復していないソ連領は
ほぼ白ロシア地域のみになっていた。
白ロシアにはこれまで東部戦線におけるドイツ軍の主力として、
装甲軍を含む多くの野戦部隊を抱える中央軍集団 が防衛していた。
過去三年間のあいだ、中央軍集団は東部戦線の中核であった。
そして1944年6月には、戦略的な要衝として有名な
ヴィテブスクの「門」をまだ押さえていた。
そして、ミンスク(白ロシアの首都)は中央軍集団の後方にあり、
もちろん、ワルシャワもベルリンもこの軍集団の背後にあった。
また、バルト海 から黒海 に続く両軍の戦線のうち、
ドイツ中央軍集団の作戦域はソ連側に向かって大きく張り出しており、
今後の独ソ戦をさらに有利に進めるためにも、
ドイツへの最短経路である白ロシアの回復と、
東部戦線の主力である中央軍集団に損害を与えることが
ソ連軍にとって極めて重要だったのである。

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しかしドイツ側のツァイツラー参謀総長などは、
ソ連軍はこの夏の攻勢で
直接ドイツに向かって前進するだけの準備が出来ていないと判断し
バルカン半島を目指して前進すると考えていたのだ!!
だが実際はソ連軍はすでに準備を整えており、
ドイツ軍を待ち構えていたのだ!!

さてこのころ米英軍は北フランスのコタンタン半島にあり、
ベルリンまでは1050キロ
ソ連軍のヴィテブスクの「門」からベルリンまでは1200キロ
その差は150キロ程度であった。

つまり、東西両戦線からのドイツに対する脅威は、
戦略的に見て、まず同等であった。
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# by suzakugawara | 2005-06-14 20:51 | 戦史関連

ポーランド侵攻② 戦闘序列

 北部方面軍ボック大将 (参謀長H・ザルムート少将)
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                (写真:F・ボック大将)
 第四軍=H・クルーゲ大将 
  第十九装甲軍団(H・グデーリアン大将)
   第二、第二〇機械化歩兵師団、第三戦車師団。
  第二軍団(R・シュトラウス大将)
   第三二、第三歩兵師団。
  第三軍団(W・ハーゼ大将)
   ネッツェ旅団、第五〇歩兵師団。
  軍直轄部隊=第二三、第二一八歩兵師団。

 第三軍=G・キュヒラー大将
  第二十一軍団(N・ファルケンホルスト大将)
   第二二八、第二一歩兵師団。
  第一軍団(D・ペツェル中将)
   第四戦車軍団、第十一、第六一歩兵師団。
  「ヴォトリク」軍団(O・ヴォトリク中将)
   第一、第一二歩兵師団。
  軍直轄部隊=第一騎兵旅団、第二一七歩兵師団。
         
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# by suzakugawara | 2005-06-07 00:03 | 戦史関連

ポーランド侵攻① 戦闘序列

OKW(国防軍総司令部)はポーランドとの開戦日決定に伴い、
OKH(陸軍総司令部)を通じて『白』作戦の戦闘序列を下令した。

南部方面軍ルントシュテット大将(参謀長マンシュタイン中将)
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              (写真:K・ルントシュテット大将)
第十四軍=S・リスト大将
 第八軍団(E・ブッシュ大将)
  第八、第二三九歩兵師団、第五戦車師団。
 第十七軍団(E・キーニッツ大将)
  第四四、第四五、第七歩兵師団。
 第十八軍団(F・バイエル大将)
  第二戦車師団、第四軽師団、第三山岳師団。
 第二十二軍団(P・クライスト大将)
  第一、第二山岳師団。

第十軍=ライヘナウ大将
 第十一軍団(E・レーベル大将)
  第十八、第十九歩兵師団。
 第十六装甲軍団(E・ヘプナー大将)
  第四、第一戦車師団、第十四、第三一歩兵師団。 
 第十四装甲軍団(G・ヴィータースハイム大将)
  第十三、第ニ九機械化歩兵師団。
 第四軍団(E・シュヴェトラー大将)
  第四六、第四歩兵師団。
 第十五装甲軍団(H・ホト大将)
  第二、第三軽師団。
 軍直轄部隊=第一軽師団。

第八軍=J・ブラスコヴィッツ大将
 第十軍(A・ユレックス大将)
  第二四、第三〇歩兵師団。
 第十三軍(M・ヴァイクス大将)
  第一〇、第十七歩兵師団。  
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# by suzakugawara | 2005-06-05 21:16 | 戦史関連

今後の予定

戦史を中心にエントリーしていこうと思います。

ヴェーゼル演習作戦デンマーク占領
第一回にもってこようかと考えています。
なぜ、ノルウェーを占領したのかという背景を
中心に書いていきたいと思います。

希望等がありましたら国防軍掲示板のほうにお書きください。
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# by SUZAKUGAWARA | 2005-05-09 10:58 | 戦史関連

とりあえずブログ作成

とりあえずドリコムブログの調子が一向に良くならないので、
移転ということで…

ついでなんでブログの方向性も変えてみようかと…

どうなることやら(笑)
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# by suzakugawara | 2005-05-06 22:10 | 徒然日記