カテゴリ:戦史関連( 8 )

1944年7月~10月末 南欧戦線

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新たに陸軍参謀総長となったハインツ・グデーリアン上級大将は中央軍集団の壊滅により、
危機に瀕している東部戦線の立て直しに着手した。
彼はドニエストルからルーマニアまでを守っていた南ウクライナ軍集団のドイツ・ルーマニアの混成軍をカルパート山脈まで後退させ、新たに2つのドイツ・ルーマニア混成集団が組織された。

ヴェーラー作戦集団
ルーマニア第4軍(キルヒナー大将)、ドイツ第8軍を中心とする
ドイツ軍7個師団、ルーマニア軍14個師団と7個旅団

ドミトレスク作戦集団
ドイツ第6軍、ルーマニア第3軍(ヨハン・ドミトレスク大将)を中心とする
ドイツ軍17個師団、ルーマニア軍7個師団と1個旅団

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          ( 左:ヨハン・ドミトレスク大将 右:山岳軍団長アヴラメスク中将 )
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by suzakugawara | 2005-11-25 00:21 | 戦史関連

1944年7月~10月末 極北戦線

[ペツァモ=キルケネス作戦]
極北戦線はドイツ軍のムルマンスク攻略を目標とした銀ギツネ作戦によって戦端が開かれたが、1942年のソ連軍のカレリア作戦(注1)の失敗以降膠着状態が続いていた。

ソ連軍は南方攻勢のために第一線部隊の大半が予備部隊や守備部隊と交代していたが、
散漫な作戦をフィンランド軍に対して行い、出来るだけ多くの戦力を殺ごうとした。
そして、バルト地方でのドイツ北方軍集団の崩壊とリガの陥落によって、
マンネルハイム元帥のフィンランド政府は休戦協定の調印するのやむなきに至った。

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ドイツ第20山岳軍団の司令官ロタール・レンドリック上級大将(写真上)は
フィンランドの脱落を事前に予想しており、配下の軍をムルマンスク西方のコラ半島のつけ根の北側と北ノルウェーの防塞拠点へと撤退を開始させていた。そして撤退が後少しというところで
ソ連軍が北方での最後の攻勢であるペツァモ=キルケネス作戦を仕掛けてきた。

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          (左:メレツコフ元帥 右:シュチェルバーコフ中将 )
       
カレリア正面軍司令官メレツコフ元帥シュチェルバーコフ中将率いる第14軍を主力とし、
ドイツ第2山岳師団の南側面を攻撃して迂回包囲し、
その後、主目標であるドイツ第19山岳軍団を攻撃するというものであった。
第14軍は第19山岳軍団に対して、兵員数で11万人対4万5千人と圧倒的に優勢であった。
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しかし10月7日の総攻撃は空軍の視界不良と砲兵の支援不十分により中々進展しなかった。
第131狙撃師団はチトフカ河を渡り早々に橋頭堡を構築したが、攻撃の主力である第99狙撃師団は前面のドイツ軍の砲兵陣地を制圧するのに手間取り前進が遅れ、
その間に第2山岳師団はチトフカ河の橋を爆破して撤退してしまった。
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10月9日から10日の夜にかけてソ連第63海兵旅団が上陸し、海岸に通じる道路を遮断した。
さらに第12海兵旅団も上陸し、海岸沿いのドイツ軍はペツァモまで撤退を余儀なくされた。
さらにソ連第126軽狙撃師団が西方へ通じる唯一の脱出路のロエスタリに、ドイツ軍の脱出を阻止する拠点を構築しつつあった。だが、この拠点は脆弱で、レンドリック上級大将は第19山岳軍団に撤退を指示し、第2山岳師団はソ連軍の阻止点を突破し、西方へ脱出できた。
ドイツ軍陣地の北の要のペツァモは、第63海兵旅団、第12海兵旅団、第14軍に三方向から攻撃され、14日に陥落した。ソ連軍はこの攻撃で消耗し進撃を休止しなければならなかった。
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その後、ソ連軍はドイツ軍を蹴散らしつつ拠点を構築していったが極地のために補給が続かず、
ドイツ軍は兵力の大半を脱出させることに成功した。
退却しつつドイツ軍は局地的反撃を加え、ノルウェーに退いてからは空軍と砲兵の支援を受け、
ソ連軍の追撃を何度も撃退し、食い止めることに成功した。
メレツコフ元帥はこれ以上の進撃は地理的に不可能と判断し偵察以外の作戦を中止した。
これによってペツァモ=キルケネス作戦は終了する。

今作戦によってソ連軍は側面を脅かしていた極地を解放することに成功した。
さらに重要なこととして、この地域の多くの鉱山から産出されるニッケルと鉄鉱石のドイツ側への供給を遮断することに成功したのである。
戦争経済を語るヒトラーがこれを聞いて怒り狂ったことは言うまでもない。
何しろ彼はこれを守るためにノルウェーを占領し、銀ギツネ作戦を発動したのだから…

ソ連側の司令官メレツコフ元帥は満州においてもう一度歴史に名を残すことになる。
今回のペツァモ=キルケネス作戦での教訓を応用し、
満州の過酷な地域で日本軍を破ることに成功したからである。


(注1)
ムルマンスク前面のドイツ山岳師団(第6山岳師団)を壊滅し、
キルケネスまで進出し、北部フィンランドの占領を目的としたしたソ連軍の春季攻勢。
カレリア軍集団司令官フロロフ中将は第14軍率いて大攻勢に打って出たが、
シェルナー中将の必死の防戦とツンドラによりソ連軍は消耗しドイツ軍は防戦に成功した。
だがドイツ軍の反撃も兵力不足から攻撃力が尽きてしまい、
ムルマン鉄道目前にしながら攻撃を停止した。
その原因として空軍の兵力が少なかったことがあげられている。
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by suzakugawara | 2005-10-23 21:53 | 戦史関連

1944年7月~10月末 バルト海沿岸地域②

両集団の合流後、勢いに乗るドイツ軍は南に転じ、
8月23日にはトゥクムス市の南約40kmみある要衝ドベレを奪回すべく攻勢を開始した。

しかしちょうどこの時、ソ連軍による新たな攻勢が開始されたのである!!
ソ連軍はエストニアの北方ヴォルツ湖とペイプス湖の間のタルトゥー市に攻撃を加えてきており、
タンネンベルクラインといわれるナルヴァ河戦線に立てこもって抵抗を続けている
ナルヴァ作戦集団の背後が脅威に曝されることとなった。
そして25日にタルトゥー市は陥落、ドイツ軍は市郊外で陣地を築き抵抗を続ける。


ナルヴァ作戦集団
   第2軍団
     第563擲弾兵師団
     第207保安師団

   SS第3戦車軍団
     第300特別編成師団
     SS大20武装擲弾兵師団【エストニア第1】
     第11歩兵師団
     第285保安師団の一部
     SS第11機甲擲弾兵師団【ノルラント】
     SS義勇機甲擲弾兵旅団【ネーダーラント】の一部  
     SS第5義勇突撃旅団【ワロニエン】の一部
     SS第6義勇突撃旅団【ランゲマルク】

ナルヴァ河に沿ってナルヴァ作戦集団によって構築されていたタンネンベルクラインは、
ソ連軍の攻勢を幾度も防いでいたが、相次ぐ他戦線への兵力抽出によって弱体化していた。

9月17日、イェレメンコ指揮の第2バルト軍集団とマスレニーコフ大将指揮の第3バルト軍集団が、バルト海とリガ湾に向けて攻勢を再開した。
この攻勢によりタルトゥー市郊外のドイツ軍陣地はソ連軍第2打撃軍によって蹴散らされ、
ヴァルガの北方のドイツ軍陣地もシモニャーク中将指揮の第67軍によって壊滅した。
これらの攻勢によりドイツ北方軍集団の防衛組織は完全に崩壊の瀬戸際へと追い込まれた。
北方軍集団司令官シェルナー上級大将はこれ以上の抵抗は不可能と考え、退却を命じた。
かくして北方軍集団はソ連軍による圧迫を受けつつも、リガへと後退した。

一方、ナルヴァ戦線ではレニングラード正面軍によって攻撃を加えられていた。
この戦線は多くのエストニア義勇兵の粘り強い抵抗で防衛戦を展開していたが、
遂に支えきれず、戦線は突破されてしまった。このことを予期していたナルヴァ作戦集団は、
包囲を避けるためかねてから準備していた
撤退作戦[アシュター]を開始した。
ナルヴァ作戦集団は撤退を続け、9月27日にはクールランドの北に位置する、
サーレマー島とヒウムマ島に撤退した。
これによりソ連軍はバルト海の島を除き、実質上エストニア全土からドイツ軍を一掃した。

9月24日、ソ連軍最高司令部はヒウムマ島とサーレマー島に対する攻撃を決定し、
そして第2バルト軍集団と第3バルト軍集団はリガを急襲し、
バルト海岸のドイツ軍を一掃することになった。

だが、ソ連軍はドイツ北方軍集団を東プロイセンから切断し、
バルト海沿岸のドイツ軍を包囲殲滅するように作戦を変更したのである。

第1バルト軍集団司令官のバグラミヤンは10月4日までに五個軍団を攻撃地点に移動させた。
その内訳は狙撃(歩兵)師団50個、戦車旅団15個、砲兵連隊9個であった。
ドイツ軍もこの移動を察知していたが、対策をたてる時間がなかったのである。

10月5日、ソ連軍は攻撃を開始し、ヴォリスキー将軍率いる第5親衛軍がドイツ軍陣地を蹂躙し、戦線の後方への突破に成功した。この攻撃によりドイツ軍第3装甲軍団は分断され、
第28軍がメーメル市内に閉じこめられてしまい、
他の軍団もクールランドとリガ周辺にいた北方軍集団と切り離されてしまった。
このような危機的状況に直面したシェルナーはヒトラーに北方軍集団をクールランドの橋頭堡に撤退させるように主張し、ソ連軍の砲火の下をくぐって撤退が開始された。
10月23日までに北方軍集団はクールランドへの撤退を完了し、兵力と物資の大半を確保することに成功した。ヒトラーはそこに北方軍集団が留まることを主張して、
一部の部隊だけが、海路脱出して他の方面へ転用された。

一方、第3装甲軍団の残存部隊は東プロイセン国境沿いに新たな防衛ラインを構築していた。
10月16日、ソ連軍の第3白ロシア軍集団が攻撃を開始した、
ドイツ側の抵抗を熾烈を極め、ソ連軍は4日を費やして防衛ラインを突破するのに成功した。
だが、第二次防衛ラインも堅固でソ連軍は多大な犠牲を払ってこれを突破し、東プロイセンに100キロほど侵入し、兵力の補充のため、一時停止することとなった。
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by suzakugawara | 2005-09-15 17:06 | 戦史関連

1944年7月~10月末 バルト海沿岸地域①

1944年晩夏から秋にかけて、ドイツ軍の北方戦線は危機に見舞われることになった。
7月5日にバグラチオン作戦の延長として開始されたシャワリャイ作戦によって、
ソ連軍はドイツ中央軍集団と北方軍集団との間の亀裂を拡大させていった。
7月31日までに第1バルト軍集団に所属する
第51軍(クレイツェル中将)、第43軍(ベロバロードフ中将)、
第2親衛軍(チェンチバッジェ中将)がリガ湾に通じる亀裂に侵入を開始し、
結果的にドイツ中央軍集団と北方軍集団の連絡を遮断する結果となった。
この事態に対処するため、ドイツ軍はリガ近郊で限定的な反撃に打って出た。
この結果、ソ連軍の先鋒の第3親衛機械化軍団(チスチャーコフ中将)を切断し、
両軍集団の間に幅約30キロの通路を作り上げることに成功した。
ドイツ軍はさらに第5、第14、第7装甲師団に「大ドイツ」装甲擲弾兵師団をもって、
8月16日に東方へ攻勢を開始した。この攻撃は、突破してきたソ連軍を逆に包囲し、
シャウリャイの鉄道分岐点と幹線道路を奪回しようとするものであった。
だが、物量にまさるソ連軍の迅速な対応と制空権によってこの攻勢は食い止められてしまった。
7月25日から北方軍集団司令官となった
フェルディナント・シェルナー上級大将
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                     (Ferdinand Schörner )

北方軍集団と中央軍集団による連続した前線を再び構築するために、
グラーフ・シュトラハヴィッツ少将を臨時司令官とする作戦軍団の編成を下令した。
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                 (Graf Hyazinth von Strachwitz)

しかし実質兵力約1個戦車師団程度しか掻き集められたに過ぎなかった。
臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】の編成は以下とおり。
         ・第337歩兵師団
         ・第101戦車旅団 (フォン・ラウヒェルト大佐)
         ・第337通信大隊
         ・SS戦車旅団【グロス】 (マルティン・グロスSS少佐)
         ・SS第19砲兵連隊

だが、ドイツ軍としてはこれらの戦力をもって反撃するしかなく、
8月20日午前4時、満を持した臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】は奇襲攻撃を開始した。
作戦目標はリガ要塞部隊との連絡の回復である。

それより4時間ほど前、ドイツ艦隊の生き残りの重巡【プリンツ・オイゲン】が駆逐艦4隻と、
水雷艇5隻と共にクールランドとサレマ島の水道を通り過ぎ、リガ湾に入ろうとしていた。
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                        (Prinz Eugen)

リガ湾に入港する途中、【プリンツ・オイゲン】はトゥクムス市へ向けて砲撃を開始した。
砲撃目標のトゥクムス市は海岸から24キロもあり、艦からは見ることは出来なかったが、
20.3センチ砲の最初の斉射は正確に目標に命中させることが出来た。
艦の砲撃精度は非常に高く、低速で移動中にもかかわらず命中率は8割に達した。
午後には陸軍から適切な支援を感謝するとしたメッセージが送付され、
艦隊は敵空軍の攻撃などを避けるため、リガ湾へと急行していった。

この砲撃によりトゥクムス市内ではT-34が48両も撃破され、
ソ連軍防衛部隊に甚大な損害を与えることとなった。
こうして強力な艦砲射撃の援護の下で臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】の先鋒部隊は、
その日の午後にはトゥクムス市を占領することに成功した。

トゥクムス占領後、師団は東方のケメルン市に向かって攻撃を継続していたが、
同じ頃、リガ要塞部隊の第81、第93歩兵師団が、
第202、第912突撃砲旅団などの援護を受けつつ、西方への攻撃を開始した。
その後両部隊はケメルン市南方で臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】と無事合流し、
ここに北方軍集団と中央軍集団は再び連続した戦線を構築するのに成功したのである。
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by suzakugawara | 2005-09-02 22:09 | 戦史関連

バグラチオン作戦① ~作戦前の状況~

1944年6月6日に開始されたノルマンディー上陸作戦 により、
ついにドイツは二正面作戦を強いられることになった。
そのためドイツ軍は主戦場である東部戦線から西部戦線への
部隊の移動、補充をする必要が生まれた。
ドイツ及びドイツ占領地区への爆撃に対抗するために
ドイツ空軍、特に戦闘機が西部戦線に移動していた。
このため、東部戦線の防空力は低下し、
陸上戦力もあるだけの予備が抽出され、
西部戦線に送られてしまっていた。

一方、ソ連軍は1943年末から1944年5月にかけ、
ドニエプル川 右岸のウクライナ からドイツ軍を掃討しており、
5月末の時点で回復していないソ連領は
ほぼ白ロシア地域のみになっていた。
白ロシアにはこれまで東部戦線におけるドイツ軍の主力として、
装甲軍を含む多くの野戦部隊を抱える中央軍集団 が防衛していた。
過去三年間のあいだ、中央軍集団は東部戦線の中核であった。
そして1944年6月には、戦略的な要衝として有名な
ヴィテブスクの「門」をまだ押さえていた。
そして、ミンスク(白ロシアの首都)は中央軍集団の後方にあり、
もちろん、ワルシャワもベルリンもこの軍集団の背後にあった。
また、バルト海 から黒海 に続く両軍の戦線のうち、
ドイツ中央軍集団の作戦域はソ連側に向かって大きく張り出しており、
今後の独ソ戦をさらに有利に進めるためにも、
ドイツへの最短経路である白ロシアの回復と、
東部戦線の主力である中央軍集団に損害を与えることが
ソ連軍にとって極めて重要だったのである。

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しかしドイツ側のツァイツラー参謀総長などは、
ソ連軍はこの夏の攻勢で
直接ドイツに向かって前進するだけの準備が出来ていないと判断し
バルカン半島を目指して前進すると考えていたのだ!!
だが実際はソ連軍はすでに準備を整えており、
ドイツ軍を待ち構えていたのだ!!

さてこのころ米英軍は北フランスのコタンタン半島にあり、
ベルリンまでは1050キロ
ソ連軍のヴィテブスクの「門」からベルリンまでは1200キロ
その差は150キロ程度であった。

つまり、東西両戦線からのドイツに対する脅威は、
戦略的に見て、まず同等であった。
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by suzakugawara | 2005-06-14 20:51 | 戦史関連

ポーランド侵攻② 戦闘序列

 北部方面軍ボック大将 (参謀長H・ザルムート少将)
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                (写真:F・ボック大将)
 第四軍=H・クルーゲ大将 
  第十九装甲軍団(H・グデーリアン大将)
   第二、第二〇機械化歩兵師団、第三戦車師団。
  第二軍団(R・シュトラウス大将)
   第三二、第三歩兵師団。
  第三軍団(W・ハーゼ大将)
   ネッツェ旅団、第五〇歩兵師団。
  軍直轄部隊=第二三、第二一八歩兵師団。

 第三軍=G・キュヒラー大将
  第二十一軍団(N・ファルケンホルスト大将)
   第二二八、第二一歩兵師団。
  第一軍団(D・ペツェル中将)
   第四戦車軍団、第十一、第六一歩兵師団。
  「ヴォトリク」軍団(O・ヴォトリク中将)
   第一、第一二歩兵師団。
  軍直轄部隊=第一騎兵旅団、第二一七歩兵師団。
         
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by suzakugawara | 2005-06-07 00:03 | 戦史関連

ポーランド侵攻① 戦闘序列

OKW(国防軍総司令部)はポーランドとの開戦日決定に伴い、
OKH(陸軍総司令部)を通じて『白』作戦の戦闘序列を下令した。

南部方面軍ルントシュテット大将(参謀長マンシュタイン中将)
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              (写真:K・ルントシュテット大将)
第十四軍=S・リスト大将
 第八軍団(E・ブッシュ大将)
  第八、第二三九歩兵師団、第五戦車師団。
 第十七軍団(E・キーニッツ大将)
  第四四、第四五、第七歩兵師団。
 第十八軍団(F・バイエル大将)
  第二戦車師団、第四軽師団、第三山岳師団。
 第二十二軍団(P・クライスト大将)
  第一、第二山岳師団。

第十軍=ライヘナウ大将
 第十一軍団(E・レーベル大将)
  第十八、第十九歩兵師団。
 第十六装甲軍団(E・ヘプナー大将)
  第四、第一戦車師団、第十四、第三一歩兵師団。 
 第十四装甲軍団(G・ヴィータースハイム大将)
  第十三、第ニ九機械化歩兵師団。
 第四軍団(E・シュヴェトラー大将)
  第四六、第四歩兵師団。
 第十五装甲軍団(H・ホト大将)
  第二、第三軽師団。
 軍直轄部隊=第一軽師団。

第八軍=J・ブラスコヴィッツ大将
 第十軍(A・ユレックス大将)
  第二四、第三〇歩兵師団。
 第十三軍(M・ヴァイクス大将)
  第一〇、第十七歩兵師団。  
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by suzakugawara | 2005-06-05 21:16 | 戦史関連

今後の予定

戦史を中心にエントリーしていこうと思います。

ヴェーゼル演習作戦デンマーク占領
第一回にもってこようかと考えています。
なぜ、ノルウェーを占領したのかという背景を
中心に書いていきたいと思います。

希望等がありましたら国防軍掲示板のほうにお書きください。
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by SUZAKUGAWARA | 2005-05-09 10:58 | 戦史関連