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バグラチオン作戦① ~作戦前の状況~

1944年6月6日に開始されたノルマンディー上陸作戦 により、
ついにドイツは二正面作戦を強いられることになった。
そのためドイツ軍は主戦場である東部戦線から西部戦線への
部隊の移動、補充をする必要が生まれた。
ドイツ及びドイツ占領地区への爆撃に対抗するために
ドイツ空軍、特に戦闘機が西部戦線に移動していた。
このため、東部戦線の防空力は低下し、
陸上戦力もあるだけの予備が抽出され、
西部戦線に送られてしまっていた。

一方、ソ連軍は1943年末から1944年5月にかけ、
ドニエプル川 右岸のウクライナ からドイツ軍を掃討しており、
5月末の時点で回復していないソ連領は
ほぼ白ロシア地域のみになっていた。
白ロシアにはこれまで東部戦線におけるドイツ軍の主力として、
装甲軍を含む多くの野戦部隊を抱える中央軍集団 が防衛していた。
過去三年間のあいだ、中央軍集団は東部戦線の中核であった。
そして1944年6月には、戦略的な要衝として有名な
ヴィテブスクの「門」をまだ押さえていた。
そして、ミンスク(白ロシアの首都)は中央軍集団の後方にあり、
もちろん、ワルシャワもベルリンもこの軍集団の背後にあった。
また、バルト海 から黒海 に続く両軍の戦線のうち、
ドイツ中央軍集団の作戦域はソ連側に向かって大きく張り出しており、
今後の独ソ戦をさらに有利に進めるためにも、
ドイツへの最短経路である白ロシアの回復と、
東部戦線の主力である中央軍集団に損害を与えることが
ソ連軍にとって極めて重要だったのである。

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しかしドイツ側のツァイツラー参謀総長などは、
ソ連軍はこの夏の攻勢で
直接ドイツに向かって前進するだけの準備が出来ていないと判断し
バルカン半島を目指して前進すると考えていたのだ!!
だが実際はソ連軍はすでに準備を整えており、
ドイツ軍を待ち構えていたのだ!!

さてこのころ米英軍は北フランスのコタンタン半島にあり、
ベルリンまでは1050キロ
ソ連軍のヴィテブスクの「門」からベルリンまでは1200キロ
その差は150キロ程度であった。

つまり、東西両戦線からのドイツに対する脅威は、
戦略的に見て、まず同等であった。
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by suzakugawara | 2005-06-14 20:51 | 戦史関連
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