1944年晩夏から秋にかけて、ドイツ軍の北方戦線は危機に見舞われることになった。
7月5日にバグラチオン作戦の延長として開始されたシャワリャイ作戦によって、 ソ連軍はドイツ中央軍集団と北方軍集団との間の亀裂を拡大させていった。 7月31日までに第1バルト軍集団に所属する 第51軍(クレイツェル中将)、第43軍(ベロバロードフ中将)、 第2親衛軍(チェンチバッジェ中将)がリガ湾に通じる亀裂に侵入を開始し、 結果的にドイツ中央軍集団と北方軍集団の連絡を遮断する結果となった。 この事態に対処するため、ドイツ軍はリガ近郊で限定的な反撃に打って出た。 この結果、ソ連軍の先鋒の第3親衛機械化軍団(チスチャーコフ中将)を切断し、 両軍集団の間に幅約30キロの通路を作り上げることに成功した。 ドイツ軍はさらに第5、第14、第7装甲師団に「大ドイツ」装甲擲弾兵師団をもって、 8月16日に東方へ攻勢を開始した。この攻撃は、突破してきたソ連軍を逆に包囲し、 シャウリャイの鉄道分岐点と幹線道路を奪回しようとするものであった。 だが、物量にまさるソ連軍の迅速な対応と制空権によってこの攻勢は食い止められてしまった。 7月25日から北方軍集団司令官となったフェルディナント・シェルナー上級大将は 北方軍集団と中央軍集団による連続した前線を再び構築するために、 グラーフ・シュトラハヴィッツ少将を臨時司令官とする作戦軍団の編成を下令した。 しかし実質兵力約1個戦車師団程度しか掻き集められたに過ぎなかった。 臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】の編成は以下とおり。 ・第337歩兵師団 ・第101戦車旅団 (フォン・ラウヒェルト大佐) ・第337通信大隊 ・SS戦車旅団【グロス】 (マルティン・グロスSS少佐) ・SS第19砲兵連隊 だが、ドイツ軍としてはこれらの戦力をもって反撃するしかなく、 8月20日午前4時、満を持した臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】は奇襲攻撃を開始した。 作戦目標はリガ要塞部隊との連絡の回復である。 それより4時間ほど前、ドイツ艦隊の生き残りの重巡【プリンツ・オイゲン】が駆逐艦4隻と、 水雷艇5隻と共にクールランドとサレマ島の水道を通り過ぎ、リガ湾に入ろうとしていた。 リガ湾に入港する途中、【プリンツ・オイゲン】はトゥクムス市へ向けて砲撃を開始した。 砲撃目標のトゥクムス市は海岸から24キロもあり、艦からは見ることは出来なかったが、 20.3センチ砲の最初の斉射は正確に目標に命中させることが出来た。 艦の砲撃精度は非常に高く、低速で移動中にもかかわらず命中率は8割に達した。 午後には陸軍から適切な支援を感謝するとしたメッセージが送付され、 艦隊は敵空軍の攻撃などを避けるため、リガ湾へと急行していった。 この砲撃によりトゥクムス市内ではT-34が48両も撃破され、 ソ連軍防衛部隊に甚大な損害を与えることとなった。 こうして強力な艦砲射撃の援護の下で臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】の先鋒部隊は、 その日の午後にはトゥクムス市を占領することに成功した。 トゥクムス占領後、師団は東方のケメルン市に向かって攻撃を継続していたが、 同じ頃、リガ要塞部隊の第81、第93歩兵師団が、 第202、第912突撃砲旅団などの援護を受けつつ、西方への攻撃を開始した。 その後両部隊はケメルン市南方で臨時集成戦車師団【シュトラハヴィッツ】と無事合流し、 ここに北方軍集団と中央軍集団は再び連続した戦線を構築するのに成功したのである。
by suzakugawara
| 2005-09-02 22:09
| 戦史関連
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