ヒトラー暗殺未遂事件⑥ ~運命の7月20日~

 1944年7月20日の朝、シュタウフェンベルクは国内軍の状況報告をするために、
ラシュテンブルクに出頭するように言い渡された。陰謀者の間には、
このチャンスを逃せば永久に機会は来ないという共通の認識があった。
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         (7月15日総統大本営にて。左端がシュタウフェンベルク大佐 )

7月17日、ロンメル元帥は連合軍機の機銃掃射を受け負傷。
それより二日前に、陰謀の協力者であったファルケンハウゼン大将が突然解任された。
そしてロンメル元帥が負傷したまさにその日、ゲルゲラーが逮捕され、
ヒトラー暗殺後の臨時政府閣僚名簿も没収されていた。
 20日の会議は、ムッソリーニが当日午後早くヒトラーと会見するため、
開始予定時間の1時より30分早く始まった。この日はいつも使われている地下の会議室ではなく壁の一部が木で作られた夏用兵舎で行われることになっていた。
その部屋には三つの窓があり、部屋の中央にはオーク材の大きな地図用テーブルがあった。
 シュタウフェンベルクはカイテル元帥とともに12時27分、すなわちかばんに忍ばせた時限爆弾に点火するカプセルが破裂する数分前に会議室に入った。
テーブル中央で報告を受けていたヒトラーに彼が近づくことが出来た距離は約3.6mであった。
彼はテーブルの脚にカバンを立てかけ、口実をつけてそこを立ち去った。
12時42分ブーレ歩兵大将がシュタウフェンベルクの所在を問おうとした時に爆弾が破裂した。
軽い屋根と会議室の窓がすべて吹き飛ばされ、
部屋にいたほとんどの人が窓から外へ放り出された。
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ヒトラーの速記係のベルガー、副官長シュムント大将、空軍参謀長コルテン上級大将、
隠れ陰謀派の作戦課主任ブラント大佐がしばらくして死んだ。
会議にいたもののほとんどは陰謀に加担していたホイジンガー少将も含めて負傷した。
ヒトラーは右腕の打撲、足のやけど、鼓膜が破け落ちてきた梁で背中に裂傷を負い、
脳震盪で一時的に動けなくなったものの命に別状はなくカイテルに連れ出された。
ヒトラーは死ななかったのである。
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少しはなれたところから爆発の様子を観察していたシュタウフェンベルクは、
ヒトラーが死んだものと確信し、大本営を脱出して、ベルリンへと向かった。

一方ベルリンでは何のはっきりとした情報もないので、オルプリヒトも、
仲の良いヘプナー上級大将とともに「ワレキューレ」の発動をためらっていた。
だが、オルプリヒトの参謀長メルツ・フォン・クヴィルンハイム大佐がイニシアティブをとって、
かねてから気脈を通じていたベルリン衛戍司令官ハーゼ中将に、
官庁街を封鎖するための警報を配下の衛戍大隊に発令させた。
そして大隊長レーマー少佐はただちに受領した命令どおりに行動した。
午後にベルリンに着いたシュタウフェンベルクは計画が動き出していないことに驚いた。
ヒトラーが死んだことを確信している彼はすぐさま計画の実行に取り掛かった。
表向き計画に賛同しなかったフロムは拘留され、
反抗的なブランデンブルク第三軍管区司令官代理のコルツフライシュも拘留された。
夕刻にはベックやヴィッツレーベン元帥もやってきた。
だが、計画は中々うまく進まず、その間に衛戍大隊長のレーマーは寝返った。
彼はゲッベルスを逮捕するため部隊を宣伝省に進軍させたが、ゲッベルスからだまされているのだと説得されたうえ、電話で直接ヒトラーと話し合う機会があたえられた。
ヒトラーはただちにレーマーを大佐に昇格させて、ベルリンの反乱鎮圧を命じたのである。
当時ヒトラーはムッソリーニ訪問の歓迎準備中であった。
もっともこの2人の盟友の会談はこの日が最後になったのだが…

クーデター派はとりあえずデーベリッツとクランプニッツから部隊が到着するまで待つことで落着いたが、計画が予定通り進んでいないことで不機嫌になったヴィッツレーベン元帥は帰宅した。
その間にもシュタウフェンベルクらは電話とテレタイプを使って全国的な行動を起こさせようと絶望的な努力をしていた。もう一方の発信源ではケイテルが怒りと情熱をこめて、そもそも暗殺などありえなかったとしてクーデター派の行動を阻止しようとしていた。
 
ドイツ以外の場所では三ヶ所で行動が実行に移され、一時的に完全に成功したところもあった。
プラハではボヘミア・モラビア軍司令官代理シャール機甲大将が市内の重要拠点を押さえた。
パリではシュトゥルプナーゲル大将が、パリ地区司令官ボイネブルク・レングスフェルト中将と協力して、衛戍大隊を使ってSSとSDを武装解除して投獄した。
ウィーンでは第十七軍管区司令官代理男爵エーゼベック機甲大将とコードレ大佐が、
ナチス党とSSの高官全員を逮捕していた。

だが、ほとんどの軍管区ではベルリンからの命令が到着するのが遅すぎた…
そして夜にヒトラーがラジオで国民に呼びかけた。

これによってベントラー街でのクーデター派の行動は総崩れとなった。
フロムはヒトラーへの忠誠心を示すのと同様自らの事件への関与を晴らすため、
あわてて野戦軍法会議を開き逃亡を断ったオルプリヒトとシュタウフェンベルク、クヴィルンハイム、シュタウフェンベルクの副官ヘフテン中尉がベントラー街の中庭で銃殺された。
シュタウフェンベルクは「神聖なるドイツ万歳」と叫び倒れた。
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フロムに自決をすすめられたヘプナーはそれを断り、裁判で自分の行為を弁明しようとした。
ベックは自決を図ったが死に切れず、居合わせた曹長にとどめをさされた。

こうしてワレキューレ作戦は失敗に終わり、
ドイツが戦争から抜け出すための合理的な道を見出すチャンスは死んでしまった。
陸軍の陰謀はほんの数時間でついえさってしまったのだ。


7月20日付けで軍事に関して素人のハインリヒ・ヒムラーが国内予備軍の総指揮に任じられ、
新たにハインツ・グデーリアン上級大将が陸軍参謀総長になった。
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グデーリアンはこれまで一度も参謀本部に勤務したことがなく、
そのことがまさにヒトラーにとって最大の身元保証であった。
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by suzakugawara | 2005-08-16 21:46 | 出来事
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