ドイツの抵抗派は再三にわたって西側連合国と協議に入ろうとしたが、
その試みはどれも成果がなかった。 特にアメリカが相手の場合には何の理解も得られなかった。 抵抗派の発言はいわば「帝政」のドイツが発言しようとしているわけであり、 ヒトラーのドイツよりましというわけではなかったからである。 しかしクーデター計画の最大の弱点は、各軍管区の中枢を占拠するにあたっての軍事行動に必要な実戦部隊、すなわちベルリン衛戍大隊やベルリン周囲に集中している各種兵科学校生徒などについてはまったく掌握していなかったことである。 陰謀家達は高級参謀部や司令部単位で多くの横のつながりがあっただけなのである。 しかも軍団長代理として任命されているのはそのほとんどが 前線で任務に耐えられないような老齢の、あるいは病身の将軍であった。 また、ベックやゲルゲラーの周囲にいた保守的な名士グループと若手の参謀将校の間には、 政治上の見解の点で大きな相違があった。 その他の不確定要素としては、国内軍司令官フロム将軍の態度があった。 彼はライバルのカイテルと同じT2課の出身で、立場上、この戦争が負けであること、 何も得ることがなかったのをよく認識していた。 彼はヒトラーを災難だと思い、またカイテルのことを誇大妄想的になってきた「伍長」の 最悪の寵臣だとみなしていた。 そのために何とかしてヒトラーを排除するための方策を考えてはいた。 だが暗殺とクーデター彼の趣味には合わなかった。それで彼は他人の保護をすることになった。 そしてシュタウフェンベルクのやっていることすべてを黙認することにした。 そしてこんなシニカルな言い方でうっぷんを我慢していた。 「もし君らが一揆を起こしたら、俺はヴィルヘルム・カイテルのことを忘れないぞ」と。 1944年7月1日付けでシュタウフェンベルクは大佐に昇進し、 フリードリッヒ・フロム指揮の国内予備軍兼陸軍装備局の参謀長になった。 7月初め、カイテルから初めて新任の国内予備軍参謀長を紹介された時、 ヒトラーはこの片目に黒の眼帯をして大柄ですらりとし、 やや淋しげで強い印象をあたえるシュタウフェンベルクのことを、 特異な直観力によって、自分に敵意を持っている人物だ、と看破したという。 「なんと不気味な奴だ!」と。
by suzakugawara
| 2005-08-14 20:05
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